私のお給金が推しの収入になるのか

いおりと申します。刀剣乱舞と旅行とヒプマイと武子直輝くんが好き。Twitter:http://twitter.com/io_ling
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最近LGBTという呼称にも圧を感じる

一過性のものかもしれないしただの考えすぎかもしれません。ですが、最近始まった「恋せぬふたり」というドラマを見てからより一層自分自身のセクシュアリティについて考えるようになりました。

Tは性別のことで少し違うする気がするので脇に置いておいて、LGB(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル)どれも恋愛をする人たちの呼称なんですよね。最近ではLGBT=セクマイというような使われ方をされがちだけれど、やっぱ。ここでもAはないものとされてる気がしてならないのです。
LGBTの後ろにs=その他の様々な人達がついたり、Q=クエスチョニングがついたりもしますが、やはりその他なのね。その他、その他ね…、ああ、そうですか。という気持ち。
LGBTという呼び方のメインになっているのは同性愛者・両性愛者の頭文字です。なのでLGBTという単語にも「人は誰しも恋愛をするものだ」という圧力を感じてしまい最近はめっきり使わなくなりました。使うとしたら「セクマイ」です。
Twitterなどを見ているとプロフィール欄に「lGbt」など、自分のセクシュアリティを大文字表記にしている方々を見かけます。あれ正直羨ましいなって思います。分かりやすくていいなあ。

他者に恋愛感情を抱けるのも羨ましいな。きっと心が踊るような体験なのだろうと思います。うろ覚えなんですが「恋せぬふたり」の中に「恋愛ができないってことは、1人で生きていかなきゃいけないってことじゃないですか」といった意味合いの台詞があります。いやまさにそれね〜!と思いました。そうとは限らないって言う人もいると思いますが、でも概ねそうじゃないですか。めちゃくちゃ病んでるときとか「恋愛ができる人って異性愛者でも同性愛者でも結婚とか同棲とかって選択肢があって羨ましい」と考えることがあります。ひとりで生きていくよりもふたりの方が経済的にも負担が少ないじゃないですか。でも恋愛感情がないと最終的にはみんな「いい人」を見つけてその相手と一緒になって私だけがひとりで残るのではないかなという怖さがあります。そういう怖さからの逃げ道が予め用意されているってとても生きる上で精神的に有利だな、って。
恋愛感情を持つ誰しもが誰かと一緒になって暮らすわけではないと分かってはいますが。でも私には持ち得ない選択肢は持っている。死ぬほど羨ましいですね。

「恋せぬふたり」はその選択肢を持たない二人が一緒に暮らすドラマで今後の展開が楽しみなドラマでもあります。ドラマをきちんと見るのは小学生のときのごくせんぶりくらいかも。どうしてもドラマって行き着く先が恋愛なので敬遠しがちなのてすが、このドラマは完走できそうな予感がします。どうかな。古傷の確認作業してるようで見ててめちゃくちゃしんどいけど!

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